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イギリスの古塔

スコットランドの円塔

イングランドとの歴史

 13世紀、スコットランドでは、ノルウェーのプリンセス、わずか3歳だったマーガレットがスコットランド女王として即位しました。マーガレットの祖父に当たるスコットランド王が死んだとき、彼には世継ぎがいませんでした。そこで、ノルウェー王に嫁いだ、彼の娘の娘が王位を継承することになったのです。
 一方、王位を継いだイングランド王エドワード一世は、野心家であり、精力的に領土拡大に乗り出していました。エドワード1世は、幼いマーガレットがスコットランド王位に就いたことを知って、彼の4歳になる息子と婚約するよう迫ってきました。スコットランドは、結局これをのみ、婚約することとなります。しかし、ノルウェーでスコットランド女王になったマーガレットは、ノルウェーからの船旅の途中、スコットランドの地を踏むことなく死んでしまいます。婚約したものの、本人が死んでしまったわけです。
 マーガレットの死後、John Balliolが王位に就きましたが、まったく人気がないために国内は混乱し、彼の死後、王不在の状態が続きました。このような状態は、エドワードの思うつぼでもありました。エドワードは、スコットランドで我が物とばかりに振る舞い、1297年には「運命の石(Stone of Destiny)」と呼ばれる大事な石まで盗まれました。その石は、スコットランドのパースの近く、スクーンというところにあって、歴代のスコットランド王がその上で戴冠式を行ったというものです。イングランドに持ち帰られたその石は、ロンドンのウェストミンスター寺院の、戴冠式の時に使われる椅子の中に安置されました。これは、その石を尻に敷くことで、スコットランド王としても即位した、ということを象徴するためです。つまり、王不在のどさくさにまぎれて、スコットランド王に即位したと勝手に宣言したようなものです。
 さすがにスコットランドも黙ってはいませんでした。ここで、あのウィリアム・ウォレスの登場となります。そう、メル・ギブソン主演の映画「ブレイブハート」です。ウィリアム・ウォレスは、映画に描かれているように、人々を率いてイングランド軍に挑んでいきます。1297年9月11日、スターリン橋でイングランド軍を破ったウィリアム・ウォレスでしたが、その後イングランド軍に捕らえられ、ロンドンで八つ裂きの刑に処されます。そして、ロバート・ザ・ブルースが、石のなくなったスクーンでスコットランド王として宣言します。その頃イングランドでは、エドワードがこの大事な時期に死んでしまいます。エドワードの息子は、映画のとおり腰抜けでした。1314年のバノックバーンの戦いでは、これもまた映画のとおりスコットランドの勝利で終わります。逃げ帰ったエドワード二世は「大敗北を食った王」として、イングランドの貴族や国民の信頼を失ったそうです。その後、スコットランドが独立国であることを内外に知らしめるため、アブロースの宣言がなされました。
 ところが、残念ながらスクーンの石を奪還するには至らず、石が返還されたのは、なんと700年後の1996年の11月でした。今はエディンバラ城の中のクラウンルームに展示されています。

 16世紀、スコットランドでも、他のヨーロッパ諸国と同様に宗教改革の嵐が吹き荒れました。現在のスコットランド国教は、長老会派(プレズビテリアン)のキリスト教です。長老会という聖職者でない人たちのグループが権限を持つので長老会派といいます。カトリックとは違い、自分で聖書を読み、個人が神と契約する、個人主義のキリスト教(プロテスタント)です。教会の制度にも階級がなく、大聖堂(カテドラル)もありません。
 宗教改革の嵐が迫る頃、ジェームス五世の娘メアリーは、生後6日目にスコットランド女王になりました。母はフランス人でしたが、祖母はイングランド王家出身であったため、メアリーはイングランドの王位継承権を持つ人でもありました。このメアリーの息子ジェームス六世は、メアリーが退位したときに、スコットランド王に即位しました。当然、ジェームス六世にもイングランドの王位継承権があります。イングランド女王エリザベスの遺言により、ジェームス六世はイングランド王位も継承し、1603年、スコットランドとイングランドは、同じ人物を王とすることになったのです。ちなみに、このジェームス六世は、イングランドではジェームス一世と呼ばれました。
 スコットランドはイングランドとはまったく別の国でした。しかし、同じ人物を君主としていると、いろいろ不都合が出てきます。そこで、二つの王国の連合が計画されます。1707年、連合が成立し、スコットランド議会は閉鎖され、ウェストミンスターに連合の議会が置かれることになりました。俗にいうスコットランドの併合ですが、スコットランド側からすれば、対等な連合なのだそうです。
 スコットランドは、今でもイングランドとは異なる独自の法制度を持っています。しかし、議会はあれから300年間閉鎖されたままです。1997年9月11日に、スコットランド議会の設置と、スコットランド議会が税率変更の権限を持つことについての国民投票が行われました。結果は、設置賛成、権限を持つことに賛成、共に過半数を大きく上回ったそうです。この連合は、双方対等のはずでしたが、いまだに平等さを欠いていると不満がある証拠ともいえます。

 

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