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イギリスの古塔

スコットランドの円塔

代表的な円塔

ブリーキン(Brechin)
 ダンディー(Dundee)からバスで1時間ほどの、アングス県ブリーキンのカテドラル(大聖堂)には、アイルランド円塔によく似た円塔があります。円塔は、現在のスコットランドの北東部を統治したアルバ王ケネス2世(971年〜995年在位)が建てた大修道院の名残だそうです。
 その修道院はやがてローマ人に占拠され、ローマカトリック教会となり、1153年にカテドラルに昇格しました。次いで、ノルマン人の支配下に置かれ、1200年にはその建築もロマネスクからゴシックに移行していきました。宗教改革のとき、従来この教会が財産と領地を浪費していたとされて、カテドラルとしての特権と称号を剥奪され、本来の教区教会に戻りました。17世紀になると、監督教会制(エピスコーパシー)がスコットランドの国教である長老教会(プレスビテリアン)を圧迫する状況下、ブリーキンの教会もまた監督教会となりました。やがて、またもとの長老派に戻って、今日に至っています。このように、ひとつの教会が、政治的、社会的変動に応じて、いろいろ違った宗教的宗派となることは、ヨーロッパでは珍しいことではありません。
 さて、ブリーキンのカテドラルの境内には、方形塔と円塔の2基の塔が並存しています。そのうち断面四角の方形塔については、断片的なもの以外にほとんど記録が残っていません。ロバート・ザ・ブルースという人が、司祭アダム(1328年〜1349年在位)に教会堂建築のために100マルクを寄進したことと、司祭パトリック(1351年〜1383年在位)のときに、教会の塔を建設するための石材運搬車が交付された記録だけが残っているそうです。
 現存するゴシックの方形塔は、高さ約21メートルで、教会堂の北西隅から前面に張り出した位置に建ちます。塔の最下部の外壁に胴蛇腹(ストリング・コース/輪帯)から下の部分は13世紀に初建されたもので、それから上の塔身は、それから約200年にわたり徐々に築かれたものです。塔上の歩廊に張り出したやぐらや鋸壁のある扶欄が完成したのは14世紀で、さらに次の世紀になって、高さ約2.4メートルの八角尖頂が加えられました。
 この方形塔の特徴的な部分は、第5階、鐘室にある大きな二連窓と、その上枠のゴシック式四葉飾り付き重ねアーチです。北西隅には密着した八角階段塔(タレット)があります。その先端には、塔全体とのバランスが悪い、かなり高い尖頂が載っています。
 もうひとつの塔は、先の方形塔よりもはるかに古い円塔です。1683年11月の教会議会(セッション)の議事録によると、塔の先端が暴風によって吹き飛ばされ、その修理費として100マルクの支出が決議されたといいます。このときの円塔は、教会堂から離れた場所に建っていましたが、1806年、教会堂再建の折、南の側廊が拡張されたために、塔は側廊の外壁に接するようになりました。
 塔の高さは、元来約25.8メートルでしたが、後に付け加えられた尖塔を含めると約31.8メートルとなります。塔内は7階層に分かれ、3階では東向き、4階では南向きの窓が一つずつあり、いずれも傾斜する“抱き”と水平の上枠に囲まれて開いている。最上階にだけ東西南北に開いた4つの窓が、初建当時のまま残っています。塔の入り口は西側に開き、地上約1.8メートルの高さに設けられ、横約60センチ、縦約1.8メートルの木造扉を備えています。
 この円塔の特徴的な部分は、入り口の石材に施された、浮き彫りの人と動物の姿です。入り口全体は、装飾された半円アーチの上枠を戴く内外二重の堅枠(ジャム)と下枠(シム)からなり、そのうち外枠の線は数珠のように球を重ねた玉縁(ビード)となっています。アーチ型要石(キーストーン)の前面にはキリストの十字架像、左右の堅枠には各一体ずつの人物立像が浮き彫りしてあります。この二人の人物はいずれも頭布のついた外衣を着用し、手には牧杖(パストラル・スタッフ)らしいものを持っています。左の人物は牧杖の先端の形が湾曲しており、右の人物のものはT字形です。この人物像は、ケルト教会の修道士と考えられています。外枠最下部の左右に刻まれた、各一頭のグロテスクな動物は、いったい何の意味があるのか判明していません。
 円塔の入り口に、このような装飾されたロマネスクのアーチ形の入り口は、アイルランド円塔においてもいくつか見られます。それらアイルランド円塔と比べても、ブリーキンの円塔の入り口は、複雑で技巧的だといわれています。
 ブリーキンの円塔の入り口には、次のような文句の書かれたプレートが取り付けてあるそうです。「ブリーキン円塔は西暦約1000年頃に初建され、はじめからそれ自体が独立して建てられました。安全を期すために入り口が地表面より高く設けられているのは、アイルランドの円塔の原型に良く似ています。(中略)塔の上部は14世紀に改修されました。この記念すべき建物は公共建築物省の保護の下にあり、これを汚し、または破損する者は処罰されます。」
<その他データ>
 ブリーキンへは、エディンバラやグラスゴーから長距離バス(Coach/Scottish Citylink)でおよそ3時間。1日1本程度の運行で、休日は運休します。近隣のMontroseやDundeeからは頻繁にバスが走っています。Montroseからは、駅から徒歩2〜3分のHigh Streetから1時間に1本程度運行され、ブリーキンまでは約20分です。Dundeeからは、駅から徒歩10分のバスターミナルから出発し、先のMontrose(High Street)を経由して、ブリーキンまでは約1時間です。
 Brechin Round Tower

アバーネシー(Abernethy)
 パース(Perth)より車で東へしばらく進んだところにアバーネシーの街があります。この街は、昔、ピクト人の首府であり、彼らが10世紀に創建したといわれる修道院の遺跡に、近年になって新しい教会堂が重建されています。この教会堂は石垣で囲まれ、芝生の境内には古い墓が点在していて、いかにも由緒ある教区教会らしい様相だそうです。
 円塔は、石造りの門の側に、教会堂とは無縁の存在であるかのように孤立して建っています。この塔の下部は9世紀、上部は11〜12世紀の建設といわれていますが、今のところ定かではありません。塔全体は灰褐色な切石積みであることから、円塔としては後期のものであると推測されます。
 高さは約22.5メートル。半円アーチの入り口は、地上約1.8メートルくらいのところに開かれています。おそらく最初は、各階にそれぞれ方位を異にした1個ずつの窓があったそうですが、今はひとつもありません。ただ一箇所、窓を外から塞いだらしい痕跡が外壁の一部に見られるだけです。しかし、最上階には、四方向にひとつずつ開いた窓があり、アイルランド円塔と似た特徴が伺えます。
 円錐形の屋蓋は破壊されて、いつの頃からか、ほとんど扁平に近い屋蓋となり、アイルランド円塔とは違った姿となっています。しかも、その中央には古い円塔には似つかわしい、避雷針らしい金属の棒が立っているそうです。
 なお、塔外壁の一部に金色の大時計が設けられており、遺跡が時計塔として利用されているそうです。
<その他データ>
パースから東へ約10km、セント・アンドリュース方面に向かう途中にあります。パースから路線バスがありますが、本数は少ないようです。パースからエディンバラへ向かう鉄道が、アバーネシーの街(村?)をかすめていますが、駅はありません。

 PICTS スコットランド、ピクト人の石碑・遺跡

 Abernethy Round Tower

 

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