◆ §2 地中海へ・1 ◆
(1988/3/2〜3/9)
3/2(水)〜3/6(日)砂嵐と大雨そして晴れた
タマンラセット滞在
<<宿泊>>Tamanrasset YH、15DA |
<<日記>>アルジェリア入国時に外貨持ち込み申請をしなければならないのだが、なぜか僕はフリーパスで、申請書を持たずに旅を続けている。出国時に問題ないかどうか日本大使館に電話をしに電話局へ行った。公衆電話など砂漠にはないのだ。ベルベルの衣装を着た地元の人が多数順番を待っていた。この砂漠の民は男女共に美しいことで知られるが、確かに良い男ばっかりだった。さんざん待たされた挙句、日本大使館からは「とりあえず国境へ行ってみたら?」と冷たい返事。やはり自分で何とかするしかないようだ。アルジェリアからモロッコへ抜けるルートは、モロッコ内戦のため難しそうだ。ルートを変更してチュニジアへ抜けることにした。YHでは安藤さん、小園井さんと共に中村さんという方に会った。中村さんは中国から陸路でずっと旅をしているのだそうだ。目的地はとりあえずケニアということらしい。YHは安くて快適だった。3/4から5まで砂漠では珍しく大雨が降った。街は水没し、停電が続く。街の機能は完全にマヒし、結局ここに一週間足止めされた。 |
アルジェリア/タマンラセット
大雨でワジ(枯れ川)が大河に変貌した
アルジェリア/タマンラセット
道も水没して通行不可に
アルジェリア/タマンラセット
水量は増すばかりで
アルジェリア/タマンラセット
中州に取り残された西洋人グループの車
アルジェリア/タマンラセット
孤立したモスク
アルジェリア/タマンラセット
分断された道路に立ち往生
アルジェリア/タマンラセット
流されて身動きがとれなくなったトラックと、
落ちた人を救いに突入するトラックの様子
アルジェリア/タマンラセット
雨が上がるとあっというまに水がなくなり、元のワジに戻る。
アルジェリア/タマンラセット
夕暮れのワジ(あの大河は何だったのか・・・)
中州の車は無事だったようだ。
3/7(月)晴れ
タマンラセット04:50(バス/120DAチッキ10DA)20:30インサラー
<宿泊>>インサラー・バスターミナルで野宿 |
<<日記>>いよい砂漠を陸路で移動する。東洋人は珍しいらしく、バスの中で「ホンコン」というあだ名をつけられた。安藤さんなどの話どおり、バスは途中でアッラーの子孫が住むという家を2回まわった。アルジェの人はさらにお金を納めなければならないそうだ。本来2〜3日かかる行程を、私が乗ったバスは1日で走りきってしまった。なんといいかげんな・・・。ガルダイア行きのバスが明朝06:00に出発すると聞いたので、インサラーのバスターミナルで野宿する。そして、この旅最大の事件がおきた。まず警官に蹴られて、そしてホモのおじさんにズボンを脱がされたのだ!眠くて何をされたのかよく分からなかったが、とりあえず変なおじさんを撃退して貞操は守れたようだ。 |
アルジェリア/タマンラセット
YH前の風景
アルジェリア
タマンラセット〜インサラー間で利用したバス
タマンラセット〜インサラーのバスチケット
アルジェリア 100DA紙幣
3/8(火)晴れ
インサラー06:00(バス/120DAチッキ10DA)16:30ガルダイア
<<宿泊>>Ghardaia YH、500円コイン1枚で2泊分チャラ |
<<日記>>ユースのペアレントはコインマニアで、日本の500円コインを見せたらひどく欲しがったので、2日分の宿泊料で手を打った。なんと一泊250円!こんな交渉の仕方もあったんだねえ。ガルダイアは噂どおり美しい街で、もっと滞在してもいいな、と思った。 |
アルジェリア/インサラー〜ガルダイア間
これがサハラ砂漠だ
インサラー〜ガルダイアのバスチケット
(アルジェリア/ガルダイア/旧市街)
3/9(水)晴れ
ガルダイア滞在
<<日記>>午前中、ハンマムに入った。要するに銭湯である。眼鏡をはずすと何も見えないので、おじさんに手を引いてもらって入浴したのだった(情けない)。久々の入浴でさっぱりした。YHでは建築を勉強している地元学生といっしょになった。日本のことをいろいろ聞かれたが、こっちも現地の物価を聞きまくった。ビデオデッキは8,500DA〜32,000DA、HONDAアコードは新車も中古も32,000DAとのこと(ホントか?)。新車を買っても砂漠の厳しい気候ですぐにダメになってしまうからだとか。夜、YHの一室でバンドの演奏があり、ガルダイア最後の夜は彼らの楽しい歌と踊りで幕を閉じたのでした。 |
アルジェリア/ガルダイア/スークからモスクを望む
アルジェリア/ガルダイア/旧市街
アルジェリア/ガルダイア/旧市街